経済産業大臣指定 伝統工芸品 熊野筆 | ||
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熊野筆とは 商標登録 第4827487号 |
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【経済産業大臣指定伝統的工芸品熊野筆】 【上記以外の筆類】
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熊野筆 統一ブランドマークとは 商標登録 第4962731号 |
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製品に統一ブランドマークを表示することで、消費者にもわかりやすく熊野製の筆であることを認知していただき、中国製などの他製品との差別化を図ることを目的としています。さらに現在まで熊野地域で培ってきた技術力・品質・信頼性などを基に、製造業者が一致団結して、より一層優れた筆づくりを行うことをめざしています。それらの活動を通じて、より強固な地域ブランドとして価値を高め、市場の優位性を獲得していくことが狙いです。 現在まで守り築きあげた技術と、お客様からの信頼性をさらに強固にし、『広島発!』世界へ発信する『熊野筆』として躍進していくことをめざしています。 |
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熊野筆の歴史 | ||
【熊野と筆の出会い】 熊野町で筆作りが始まったのは江戸時代末期と言われています。 当時の熊野の人々は、主に農業で生計を立てていましたが、農地も少なく、それだけでは生活を支えきれず、農閑期には吉野(奈良県)地方や紀州(和歌山県)地方へ出稼ぎに出ていました。出稼ぎの帰りには奈良や大阪、有馬(兵庫県)地方で筆や墨を仕入れて、行商しながら熊野に帰っていました。これが熊野と筆を結びつけるきっかけとなったのです。 こうしたことが繰り返されている間に、天保5年(1835年)佐々木為次は13歳の時、有馬(兵庫県)に行きました。そこで彼は4年間、筆の作り方を学び、天保9年(1839年)17歳で熊野に帰ってきました。また、弘化3年(1846年)井上治平(井上弥助)は18歳の時、広島の浅野藩御用筆司吉田清蔵より、筆作りの技術を学びました。さらに同じころ、乙丸常太(音丸常太郎)も有馬(兵庫県)より、筆作りの技術を学び、熊野に帰ってきました。そして彼らは人々に技術を広め、筆作りは熊野に根を下ろし始めました。 【明治以降】 【第二次世界大戦以降】 【伝統的工芸品認定から現在まで】 今や熊野筆は、多く人々からその品質を認められ、世界中で親しまれています。 |